秋田公立美術大学平成25年度入学式における樋田学長からの式辞を掲載します。

2013年4月10日

平成25年度
秋田公立美術大学 入学式
学長式辞

先ほど、市長が開学宣言をされましたように、秋田公立美術大学は、平成25年4月1日に開学いたしました。  皆さんは本学の歴史に残る、栄えある一期生です。1年生の106名、編入生の10名、そして、保護者の皆さまに、教職員を代表して、心からお祝いを申し上げます。入学おめでとうございます。
また、ご来賓として列席されている、秋田市の市長様、市議会議長様、副市長様、県議会および市議会議員の皆様、教育委員の皆様、教育長様、そして西部地区期成同盟会長様、新屋振興会長様、放送大学所長様にも、お忙しいなかでのご来臨に対し、厚くお礼申し上げます。

さて、新入生の皆さんは、今日どんな気持ちでこの会場までいらっしゃいましたか。どんな先生たちがいるのだろうかと興味津々でしたか。あるいは不安でしたか。実は私たち教職員も、どんな学生さんたちが姿を現すのだろうかと気掛かりでした。でも、こうして皆さんの顔を見て、安心しました。皆さんとなら、うまくやっていけると思いました。これから、一緒に、制作と研究に励むことにしましょう。

記念すべき入学式にあたり、秋田公立美術大学の教育の根幹について、お話しさせていただきます。それは、ひとことで言えば、「社会に目を向ける」ということです。これは新大学の設立に向けて、急ごしらえした、即席の教育理念ではありません。本学の前身である秋田公立美術工芸短期大学、いわゆる美短の、十八年間の歴史のなかで培われてきたものです。
私はこうした教育理念が培われてきていたことを、この二月末に見た卒業・修了制作展で、あらためて実感しました。会場に展示されていた作品の種類が、とても多岐に渡っていたからです。そこには、食器から衣服、ジュエリー、小箪笥、間仕切り、さらに怪獣研究、ケーキ屋の宣伝方法、果ては棺桶に至るまで、人生に必要な、ありとあらゆるものが揃っていました。一般的な美大の卒展では、絵画、彫刻、オブジェ、置物、ポスター、工業デザイン、建築模型などが中心ですが、美短の場合はまるで百貨店のようでした。  この光景を見て、私は美短の教育とは、人間が社会生活を送るうえでなくてはならない価値……それは実用的価値であっても、精神的価値であっても構わないのですが……そうした価値の追求だったと実感したのです。  皆さんは「芸術のための芸術」という言葉を聞いたことがありますか。フランスの哲学者の言葉で、芸術はそれ自身のためだけに存在し、芸術には社会を超越する絶対的価値があるという主張なのですが、これは第二次大戦以前までの芸術家の心を支配した考え方でした。
でも、この考え方は今日では遺物です。伝説です。現代の芸術家は、芸術にとって社会は自分の姿を映しだす鏡であることを自覚しています。美短はこの考え方を、先取り的に実践してきたといえるでしょう。皆さんにも、美短の「社会に目を向ける」という教育理念を受け継いで欲しいと願っています。

ところで、秋田に限ったことではないのですが、地域社会に目を向けると、美術がいつの間にか、どこを切っても同じ顔が現れる金太郎飴のように、日本中で画一化していることが見えてきます。これは、どうしてでしょうか。
それは、150年くらい前に、日本が欧米世界に遅れて参入したときから、日本は文化面でも独立を守るために、「独自な伝統を持つ日本美術」というイメージを、世界に向けて発信する必要に迫られたからです。独自性を強調するために、日本は文化がバラバラな国ではなく、文化的に一枚岩の国であると訴えなければならなくなったというわけです。
その結果、欧米流の美術進歩を手本にして、美術の教科書が編纂され、日本中で、どこでも同じ顔をした「国民美術」とでも言うべき教育がおこなわれてきました。ところが実際には、現在に至るまで、日本の各地には土地の風土に由来する風俗画や工芸の流派、そして民芸品のように、お国自慢の美術が生き続けています。  先ほど、美短時代の大切な遺産として、「社会に目を向ける」多岐に渡った作品制作という教育理念のあったことを掲げましたが、これは結局、画一的な「国民美術」に違和感を抱いた、地方都市ならではの異議申し立て方法だったということができるでしょう。
鋳型に押し込まれた教育ほど、退屈なものはありません。鋳型に押し込まれた美術ほど、醜いものはありません。欧米を手本とした、欧米に追いつけ追い越せ型の美術教育は、すでに賞味期限切れなのです。
いま必要なことは、物真似ではない新しい美術を、地方自身が、地方自身の文化資源を活用して創り出すことです。そんなワクワクするような教育を、秋田公立美術大学は実践します。

そこで本学は「社会に目を向け」て、いま必要とされる美術を追求する5つの専攻を設けました。アーツ&ルーツ、ビジュアルアーツ、ものづくりデザイン、コミュニケーションデザイン、景観デザインです。これらに共通するのは、独りよがりではなく、自分の外側に、相手や、社会や、世界があって、それらが反映されて自分が作られ、自分の美術が生まれてくる、という考え方です。この考え方に、つぎのような定型文を与えてみました。

わたしはわたし。あなたはあなた。
でも、あなたがいて、わたしがいる。
あなたに影響されて、わたしが変わる。
あなたは、わたしの映し鏡。

美術は美術。社会は社会。
でも、社会があって、美術がある。
社会に影響されて、美術が変わる。
社会は、美術の映し鏡。

日本は日本。世界は世界。
でも、世界があって、日本がある。
世界に影響されて、日本が変わる。
世界は、日本の映し鏡。

先ほどの5つの専攻の内容も、金科玉条のように不変ではありません。社会の変化を反映して、世界の変化を反映して、そしてなによりも皆さんの要望を反映して、中長期的に変革していく予定です。
皆さん、一緒に、新しい美術大学をつくろうではありませんか。一緒に、新しい美術を築きましょう。

平成25年4月9日
秋田公立美術大学
学長 樋田豊次郎