地域醸造家とは何か まじわり、かもす

発酵は大豆や米などが菌と触れ合い、酒や味噌などへと変容する現象です。醸造家は素材や菌、温度や湿度を組み合わせ素材以上の味を引き出します。そこに着想を得て、地域の様々な資源、因子などを発見し、掛け合わせて新たなものへと変容させる人材を「エリアブリュワー・地域醸造家」と名付けました。これは一緒にその意味について迫った全5回の講座の記録です。

全5回の講座を終えた受講生のレポートを公開しています。

受講生レポート

AKIBI plus yokote最終レポート
伊藤 綾美

 これまでに秋田美大の講座を受講したいとずっと思っていたが機会を見つけることができずにいた。そんな中でようやく巡り合えた機会が大変嬉しく、5回の講座は毎回刺激的であっという間に感じられた。市立の学校でありながらも秋田市外まで活動を広げてくださっているのはとてもありがたく、市内に大学を持たない横手市民としては高等教育機会が受けられる有意義な時間となった。公立学校として、地域に還元する機会をこれからも提供し続けていただきたい。同時に、自分自身は地域住民としてその機会を受け入れ、学びを活かして地域に広めるお手伝いを積極的にしていきたい。学生の皆さんにとっては学科や学年も交じっていて学びの多い時間になったことだろう。1年次から積極的に学外へ出ていることがとても嬉しかったので、ぜひ県内各地へ赴いてたくさんのことを知って4年間を過ごしてほしい。秋田で学んだことを在学中に限らず、卒業後もぜひ秋田で発揮していただきたい。今回の講座では県内外出身の若者(学生さん)に県内の魅力を知っていただけることはとても喜ばしく、自分自身も知らなかった新たな魅力を一緒に気づけた瞬間はとてもかけがえのない時間であった。横手での拠点は自分が生まれ育った十文字という地域だったのに何気なく過ごしていたことから、客観的に見てもらうととても奇妙だったり不思議だったり、気付かなかった魅力を他者の視点によって気付かされる体験は違和感を覚えながらもとても貴重で勉強になった。

 私はこれまでに個人製作しかしたことがなかったため、共同制作の楽しさ、もどかしさを初めて知った。制作のスケジュールが短すぎたようにも思えたので、時間の制約もありなかなか美大までは赴けず、秋田市の方々にまかせっきりになってしまったことが申し訳なかった。自分一人ならやりたいようにどんどん出来るのに、ほかの人の意見と摺り寄せなければならない難しさや、逆にほかの方の意見が自分では思いつかないような素晴らしい意見だったり斬新だったりして、より作品が深まったことが貴重な経験となった。また、ここへの置き方はふさわしいのか?前会場の方が、作品が引き立っていたのでは?と疑問が拭えず、巡回展の難しさも痛感した。市内にも展示できる場所がたくさんあることを知ったので、今後利用してみたいと思った。

 今回の講座がとても有意義な時間になったため、せっかくの機会をもっと周囲に普及すべきだったとも悔やんでいる。今後も機会があれば積極的に参加していきたいし、ほかの方にも紹介してみたい。参加できたことで、秋田の文化をより熟成させ、発信する存在になりたいと再認識できた。自分たちが楽しむだけではなく、次世代にその魅力を引き継げる人にもなりたいし、今後もぜひ県内でのプロジェクトに参加させていただきたいので、これからも受講生の皆さんと地域でともに頑張れる機会があることを願う。

AKIBI plus YOKOTE 2017を通して
岩澤 亜沙美

 9月下旬にスタートした講座の集大成として制作した作品の展示会。 展示されている多様な表現作品の数々を目の当たりにすると、これは”地域醸造家~area brewer~”育成の種、というよりこれは、今後地域醸造家の種を蒔くための土づくり、環境づくりの第一歩だったのではないか。

 私自身の受講する姿勢を振り返ってみれば、秋田市に住む人間にとって、「横手、しかもそこから少し離れた十文字という”見知らぬ町”の”地域因子を拾い出し、それを掛け合わせ新たなものへと変容させる”ということができるのだろうか」という思いと、「むしろ町外の人間という立場から客観的・新鮮に地域因子を捉えることができるのではないか」という思いの二つの間を行き来しながら受講してきたような気がする。

 さらに自分にはもう一つ”この講座を取材し、ラジオという放送媒体を通して企画の外にいる人へと情報を伝える”という役割があった。

 講座の中で考えを巡らせ、学んだことをまとめる。今度はそれを放送に載せるための情報として整理し、コメントとしてまとめ番組に編集する。そして次の講座を受講し、新たな知識を加え、さらに情報をブラッシュアップしてまた放送へ…、ということを繰り返した。するとあることが、ふと、顕わになってきたのだ。

 「この講座は内容や方法論も含め、限られた少数の枠の中でのワークで完結せず、もっと外に解放されてもよかったのではないか」と。

 放送を行っていると、ともすれば発信する側からの一方通行の情報になってはいないか? という不安に駆られることがよくある。放送に対してメールなどでの投稿や投書も時にはあることはあるが、聴取者の姿勢は”受け身”が圧倒的である。この感覚と同じようなものを私自身この講座の集大成であった展示会に感じたのだった。

 最終的に学んだことや私たちが集めた地域因子を掛け合わせたものを作品という形にして展示し”展示会”という形式で公開はした。しかし、作品の中には参観者が手を加えて進化させられるスタイルの”クロス“のような作品はあったものの、参観者側からの反応やアクションといったものを感じる場が極端に少なかったのではないか、この作品ひいてはこの企画そのものをその地に住む人たちにさまざまな評価をしてもらう場を設けても良かったのではないか、という思いも強くした。

 作品制作はどうしても”形にすること”が目的になってしまう。つまり、なんとなく作品完成によって課題が完結してしまったかのような錯覚に陥ってしまうきらいもある。 たしかに、今回の講座参加者の振り返りの中には、世代の違う人たちと関わり作品制作を進められたことや、自分たちが気づかなかった、また、注目し逃していた地域因子に触れることができたに対する新鮮な感動を語る人も実に多かった。

 参加者ですらこのような思いを新たにしていたのだから、この講座に、より多くの外部の視点・感想を得ることができればもっと講座に広がりが得られたのではないだろうか。  街をつくる、街づくりを考える人を育てることは、止まることはなく、また止まってしまえばそこから衰退していくことは目に見えている。

 今回は、町内外・年齢差・学生と社会人という多様な立ち位置の人々が混在した”参加者”という”因子”が実に良いバランスで掛け合わされた。ここに”講座外の一般市民”という因子が加われば、さらにこの講座は有機的にこの土地に作用していくのではないかと感じた。

「AKIBI plus横手」に参加して
加藤 正哉

 結論から申し上げると、今回の「AKIBI plus横手」の事業に参加できたことは私の今まで47年の人生においても特筆すべき体験であり、ものの見方や感じ方、考え方、そして芸術・アートといった領域へ目を開かせてくれた稀有な出来事であった。 私が今回のAKIBI plus横手の事業に参加し、感じた事は具体的に挙げると次の3点である。

 一つめは見慣れた一地方都市の小さな町に過ぎない「十文字」という土地が地域因子を探り、それをアイデアや発想で有機的に繋ぎ合うという手法を以って眺めることで、こんなにも魅力的かつ妄想に富んだ場であったことに気付かされた事である。 地域おこしやまちづくりの必要性が言われて久しいが、そこにこういった「掘り起し、耕す」ことを用いれば、関わる人がもっと楽しみながら意義を深める事業にしていけることが理解できた。

  二つめは個人が各々持っている特性や能力を持ち寄る時、1+1+1=3ではなく、10にも100にも成りうることを改めて実感できた事である。人間の持つ、また普段は隠れていて本人も自覚していない才能が、人と交わるという触媒を与えることでメラメラと燃え立つことを目の当たりにできた。

 三つめは、今回この事業の最後には作品の展示という形を取ったが、本当の意味での「作品」は参加した「人」そのものであったのではないか、ということである。 それまでまったく見ず知らずの、年齢層も生活環境もばらばらな人たちが、各々定めたテーマの基に意見を出し合い、形作り、展示方法を検討し合ううちに、短い限られた期間で仲間としての意識と新たな人間関係を築くことができたことはまさに「醸された」としか言いようがない。勿論私も十分にブクブクと「醸された」一人である。

人が醸されるには己一人では不可能である。集団の中で個々の違いに気づき、認め合い、影響を与え合うことで個々が「地域醸造家」として輝きだすことを知ったことこそ、今回参加して得た一番の収穫であったと思う。

「地域醸造家とは、その地に眠る「素材」と「酵母」をゆり起こし、醸す蔵人集団である。」

AKIBI plus YOKOTE 2017を通して
神谷 恵里

 知人から「まち歩きをするんだって」と聞いたとき、その言葉に惹かれました。どこへ行くにも、車で移動する生活。目線を変え、速度を落として「まち」を見ることで、それまで気が付かなかったことに出会うのではないか、と思ったのです。

 私は旧横手市に住んでいます。主会場の十文字町を車で通過することはあっても、「歩く」のは今回が初めてでした。参加者それぞれが十文字町について知っていることを出し合った際、それまで知らなかったこと、興味がわいたことがいくつもありました。私が十文字町について知っていることはごく一部で、自分自身が見て確かめたことよりも、他者や印刷物などの媒体から得た情報、イメージであることが大半でした。 まち歩きをしたとき、同じ場所を歩いても、見ているものが違っていました。誰かの違う視点が加わり、交わりあうことで、同じものでも見え方は幾通りもある。そこに、誰かと共有することの面白さを感じました。それと同時に、私は知らないことが多すぎる、という事実にも直面しました。私は、この地域のまだ一部しか見ていないし、見えていない。一部の集合体として全体を見たときに、それまでとは違った「まち」の姿が見えてくるのではないか。在ることに気が付いていないだけ、見落としているだけではないか。まち歩きのあと、私はそう考えるようになりました。

 「モノ、コト、ヒトと主体的に関わりながら,『いま在るもの』のなかに新しい一面を見つけ、育んでいく人」。私は地域醸造家をそう定義しました。地域づくりとは、地域にあるものを活かすことだと考えます。目に見えない菌と付き合いながら発酵文化がいまもなお受け継がれているように、この土地の風土気候に適した、無理のない方法で継続的に地域と関わりあうこと。いまここで暮らしている私たちが「住んでいて愉しいまち」であれば、他者の目にも楽しいまち、魅力的なまちに映るはず。そのためには、地域を知ることから始める必要があると考えます。見て、聞いて、触れて、嗅いで、味わって、五感を通して自分自身が体験する。その体験を通して拾い集めた情報をもとに、地域を見直す、再構築する。隣人と関わりあいのなかで新しい視点や考え方が芽生え、一人ひとりが良質の菌となり、地域の新たな一面が浮かび上がってくるように思います。

 9月から11月まで、定期的に訪れていた十文字町を久しぶりに車で通りがかった時に思い出したのは、フィールドワークをしたときに見つけた様々な地域因子のことでした。とある建物の屋上から外を見下ろしたとき、ストーンサークルのような構造物を見つけました。車では何度もその近くを通りがかっていたのに、決してその存在に気が付くことはありませんでした。でも、いまはそこに「在る」ことを知っています。気が付かないまま、やり過ごしていることがきっともっと、たくさんあるはず。生まれたばかりの地域醸造家として、目線を変えて、角度を変えて、小さな発見を積み重ねていきたいです。

AKIBI plus YOKOTEレポート
宿野部 真由

 第2回から参加させていただいたAKIBI plus YOKOTEは、自分の日常ではない土地で未知を考えるという新鮮な経験をした。横手へは正直、秋田県立近代美術館やお城山クラフトフェアにしか行ったことがなく、知っているようで全然知らない土地であった。秋田市で生活して3年、やっと醸造文化に興味を持ちはじめたこともあり、今回のプロジェクトに参加した。

  第1回の講座では「地域醸造家とは、変化と成長に向き合い、うまくいくための知恵やノウハウを持って、触媒となって動けるひと」と決まったようだ。やはり聞いただけだとあまり理解はしていない。でも最終的には、活動を通じて自分が考える地域醸造家を定義して良い。そうするともう少し身近に感じられた。

  最終講座を終えた直後、私個人が考える地域醸造家とは「日本を元気にする種」と定義した。初めは地域醸造家=まちづくりをする人=まちづくりプレーヤーのことかと考えていたからである。これは以前から参加している新屋のまちづくりワークショップの言葉であり、「まちづくりをする人、まちづくりで遊ぶ人」を指している。しかし作品を展示し横手を離れてから見えるものが変わったので考え直す。展示場所を変え、建物の雰囲気にあった設置作業中に他の参加者とのやりとりや、展示を繰り返すことでお客さんのことも考えられるようになったことで考え直す。アートを学んでいる者、アートのファンである人、アートに初めて関わる人の融合で、作品が変わるというより目に見えないものが変わっている。これがもしかしたら「醸されている」ことかもしれない。そう感じてしまったらこれはまちづくりプレーヤーではないと考えを改めた。

  「日本を元気にする種」の種(地域醸造家)は肥料や水や土ではなく種。自分たちで育っていくエネルギーを地域因子によって動かしていく。それでは日本を元気にするとはどういうことか。種から芽が出て葉を伸ばし花を咲かせても直接日本が元気になるわけではない。たとえば人々の病気が治ったり貧富の差や社会的差別などが無くなるわけではない。でも花を見ることで心が豊かになっていく、それによりものの見方や問題の向き合い方も変わっていくのではないか。花からもらった種を見た人それぞれで育てていく。このような流れが「醸す」ではないだろうか。実際、新屋から来てくださったお客さんが新屋のお酒をPRするブースを展示会場に設置されていた。面白い!これこそ醸されている!とわっと嬉しくなった。丁寧に「地域醸造家ビン」と同じ作り方をされていて、蓋を開けると紙テープがぴろぴろぴろ〜と伸び、しっかりPRされていた。「面白い」から自分も何かやってみたい、「馴染みのある土地」だから自分も何かできるのではないか。

  この講座が始まる前、発酵について勉強しようと「もやしもん」(横手駅が一時期彼らによって醸された)菌の漫画を読んでみたり、増田の郷土料理店「くらを」さんの講演を聞きに行ったりしたが、振り返ると行動に移すことや繰り返し考えることがもう醸されていたのではないかと思う。それは「面白い」が詰まっている横手で何か「面白い」を生み出そうとしている者がいるからである。

AKIBI plus横手 2017 レポート
田代 雄太朗

 私たちが今回地域プロジェクト演習で学ぶことができたのは横手市十文字地区にある地域資源の探索、そしてその地域のアートプロジェクトによって生まれた感覚・言葉を作品として具象化する制作活動及び展示の一連の流れである。 新規となる本講座では地域活性化を考えてゆくことに際し、事前に「地域醸造家とは何か」と題していた。 今回のプロジェクトでは、第一回目の50人程のシンポジウムを皮切りに、第二回目以降、美大出身の永沢さんと10名程の美大生を含む受講生が地域醸造家として、同じ目線に立って地域活性化について意見を交わし、それを伝達するための作品を制作した。

 第一回目の会場では、大まかな地域醸造家についての定義がなされた。 地域醸造家とは、地域の発酵食品を作る人という意味に聞こえるかもしれない。 しかし、今回においてはプロジェクトの進行を十文字の発酵食を想起するような言語感覚から、地域に根付く言葉としての素材を集め、それを基にアイデア・アートコンセプトを進行させる人という意味で使われた。 初めてのプロジェクトであり、手探りであった部分もあったが、これが第二回目以降の起点となった。

 受講生同士の感覚の「発酵」を終始共通認識とすることで、結果自ずと制作はグループワークとなった。 具体的にはまず、フィールドワークとして地域資源を探索した。それぞれが見たり感じたりした素材を、カードに書き出した。次に、カードの中から各々の創意感覚により選び、掛け合わせて生み出された独自の言語をコンセプトに平面・立体作品を提案、制作した。 この手法も各々の感性を十文字地区と一体化させるもので、「発酵」させるといったキーワードを想像させる面白いものであった。 個人ワークとして制作した人もいた。

  また、作品は横手市内の3箇所において其々約1週間ほど展示され、来場者にプロジェクトの伝達を促した。Facebookの活用などで、来場者以外の方にもプロジェクトの展示は周知された。 受講生にとって、展示会場による展示方法の模索、作品の運搬、設置などの一連の作業は一般の企画・プロジェクトの展示の表裏をトレースすることできる貴重な体験であった。

  最後に、自身は秋田から離れた地域プロジェクトに参加したのは初めての経験であった。記憶に残るのは第一回前夜、横手市内の居酒屋でのプレゼンターとの会話である。自らの意思で北海道の地でパン屋を開き、人が集う場所を作ってしまった方、社会学者として全国で講演を経験されている方、プロジェクトの予定にはなかったが、その人達の生の声を聴く機会が持てたのは素晴らしかった。 彼らの会話はアットホームな雰囲気でありつつも、随所に専門的な知識が見え隠れした。自信に裏付けされる余裕でもあったのだろう。 今回の経験は社会貢献のための勉強意欲が駆り立てられるきっかけになった。

AKIBI plus 横手「地域醸造家の育成」
谷口 結紀

 「エリアブリュワー【地域醸造家】」とは地域の様々な資源や因子を掛け合わせ、新たなものへ変容させる人のこと、だそうだ。てっきり辞書にある単語だと思っていた私は造語と知ってビックリ!そしてその意味にも非常に興味を持った。 今回アキビプラス横手の受講を決めたのは、以前から気になっていたCAMOSIBA(ホテルとバーを経営するお店)の空間をお借りして活動するというお話を聞いたことと、十文字町というまだ行ったことのない場所が会場であることに、冒険心が湧いたからである。

 講座は全5回あった。(私は4回参加)これまでを振り返ると、若者言葉になってしまうが「やばいめっちゃおもしろい」という言葉が私にはしっくりくる。CAMOSIBA周辺を歩き五感で町並みを感じ取り、文字や絵で記録するフィールドワーク、お互いの発見や考えを聞きあうディスカッション、お昼には近くのお店でランチタイム…。話を聞くだけの受け身参加というより、全員が会話や活動に入り込める、とても濃い活動だったと感じる。そして成果発表として参加者共同で作品を作り、場所を変えて3回展示をした。私のチームの共同作品は十文字和紙とちりめん布を縫い合わせるパッチワークだ。和紙をちぎったり縫い合わせたりして、十文字の町並みを表現しようとする地道な作業だったが、会話をしながらワヤワヤと制作し、大変ではあったがとても楽しかったという思い出がある。

  そのほかにも十文字で見つけた要素から着想した消しゴムはんこも作った。(私は十文字町に語り継がれる赤い髪の猩々さんをモチーフに消しゴムはんこを作った。) 何度も活動に参加するたび、私は力が漲るような気持ちになっていた。それは色々な世代の参加者と話せたり聞いたりできた事にあると思う。自分のアイデアと相手のアイデアが混ざり合い、さらに面白いものが誕生するという場面がいくつもあったりして、話し合う事は何倍もの力となって生まれ変わり、そこに自分も力になれるということに感動したのだ。

 話し合うだけでなく、その地に出かけて五感で見るという活動もとても大事な過程だった。写真だけでは感じ取れない流れる空気や香りは行かないと分からないもので、発見も無限にあった。この活動は1人で考えるより、いろんな人と体全体を使って考えるということの大切さ、面白さを教えてくれたと感じている。 講座はあっという間に終わってしまったが、考えたり動いたりすることはこれからもずっと続けていきたいと思う。そこに周りも巻き込んだりして、見方と考え方の幅をもっと広げていきたい。固定概念とは怖いもので、年々頭が固くなっている気がしていたが、今回参加したことで「出来る・出来ない」よりも『可能性』について考えられるようになったと思う。良いきっかけに出会えてよかった。

自分はいったい何者であるのか
〜AKIBI plus YOKOTE 2017を通して〜
奈良 宏周

 テーマである地域醸造家とは何かということを論じる以前の問題として、私はほとんどこの地域のことを知らず、「地域」という言葉の定義すら知らなかった。14年ぶりに秋田に戻ってもうすぐ2年になるのに、どうもしっくりきていない。いまの自分に何が出来るのか、やれるだけやってみようと参加を決めたAKIBI plus YOKOTE。しかし何が出来るかって、自分は何も知らないし何も出来ない。大学進学で上京して以来、私は非常に偏った教育を受け、ほとんど一般教養らしい教養も常識もないことには自信がある。美術に興味はあったもののときどき企画展に訪れる程度で、何の知識もない。それでいてなぜ参加したのかという動機を簡単に言うと、ちょっと頭を鍛えてみたかったということになる。

 美術関連の方と会うことが多くなり、話を聞くたびに自分の知らない新たな世界が広がる感覚を得ることができ、これがまた楽しいのだが、その一方で近頃はもどかしさや悔しさが込み上げてきていた。それは自分にそんな豊かな話が出来るのかと振り返ってみると到底出来るはずもないと思ったこと、明らかに自分の理解が足りないために相手の言っている意味がわからないことがしばしばあったことが理由である。また展覧会で作家に感想を求められても、まともに答えられない自分に「嫌気」がさしてきていた。「どう?」と聞かれても自分は「好き・嫌い・悪くない・かわいい・きれい・イイね」程度の語彙しか持ち合わせていないのだから、まとまったセンテンスで返答などできるわけがない。そのため、作家在廊の展覧会ではいつも本人を前に申し訳ない気分でいっぱいであった。理系出身の性なのか、ただ1つの答えを求めていく自然科学的な考え方がしっくり来るのに対し、答えが1つと限らない世界に身を置いて、自分がその立場でどんな話をするか想像してもまったく浮かんでこない。

 あるとき、私を教え導いてくれた数少ない「師」と慕う方々にみな共通している点があることに気がついた。みな口々に「よく考えろ」と言うのであった(よほど私は何も考えていなかったに違いない)。考えること自体は簡単なことで、ただ考えれば良い。ただ、どう考えて良いかわからないから停止するのである。

 これまでに述べた自分の中の問題が一朝一夕に解決することはあり得えないことはわかっており、これからも課題であり続けるだろう。ただ今回、いままで全く通ってこなかった類の道を歩んで、すなわちこの全5回の受講を通して仲間と共に考え、心の中に希望の光が灯った感覚になったことは非常に嬉しい限りである。

 作品制作で発表した謎の「マカロード」は十文字の道の融雪装置がマカロンに見えてしまったことから偶然生まれた。「マカ」は「摩訶(偉大、優れているの意)」ともかけている。受講者がみな歩いたこの道、いまさらながら今度は滑走路のようにも見えてきた。何者でもない、取るに足らない自分だが、今回学んだことが飛躍するためのきっかけになっていると信じたい。

AKIBI plus 横手レポート
松山さくら

 今回の講座は、今後の活動の指針や基準になり得る講座であったと感じました。大学一年の私は、地域プロジェクト演習という秋田公立美術大学の授業の一環としてこの講座に参加させていただいていました。

  第一回目は基本的に椅子を並べること、案内掲示板を張ることなどのお手伝いをスタッフとしてやらせていただきました。講師の先生方の話を全て聞くことはかないませんでしたが、発酵食ランチも頂き、自分のできる雑務も少なくなった午後からは、ワークショップにも参加して、参加者の方々と地域醸造家とは何か、ディスカッションしながら考えました。偶然にも同じ趣味を持った方ともお知り合いになる事ができ、とても嬉しかったことを覚えています。

 第二回目からはCAMOSIBAで、定員が本講座受講生のみだったこともあり細かい仕事は少なく、ワークショップにもフィールドワークにも参加して、第四回目の秋美での制作から参加できる日には展示もさせていただきました。 全体を通してみて印象に残ったのは、「地域醸造家」という言葉そのものです。今回のAKIBI plusで、横手が発酵の町という事で、地域資源を発見し、掛け合わせ、変容させる人のことを「地域醸造家」と仮定した、つまり造語という事でしたが、ワークショップのたびに自分も、参加している方も変容していくさまが分かって、予想を上回る言葉や考え方に触れて、自らが発酵していくことを感じ、発酵という言葉のその不思議な力を感じました。四回のワークショップと三回の展示を参加者の方々と通したからこその感覚だと思います。

 参加者の方には自分の専門の領域をもっていて、そこからアプローチをしている方も多く、地域醸造家とは何か、自分には何が出来るか等、考えを聞いたり話し合うときにそれぞれのルーツや何を指針に考えているかが分かったり、普段自分があまり関わらない世界の話を多く聞けたことは今回の講座が本当に興味深いものであったと感じた一つの要因だと思います。展示最終日の食事の際は殆ど講座内容に関係なく各々が聞きたいと思っていたことを聞くなど情報交換などしていて和気あいあいとした雰囲気でした。 横手という町の魅力を知り、さまざまな事を聞き、自分も未熟ながら考えたことを話し、みんなで醸されたそれぞれの答えを展示しました。

 その中で特にうれしかったことは、講座の中で印象に残った、話題になった「地域因子の判子」づくりを制作物として作って展示した中で、地域の因子に多くの人が触れてくれたことでした。これからの抱負として、今度はすこし媒体を変え、当初のアイデアとして言っていたようなブローチのような身につけられる形で地域因子を身近な形にしてみたいと思ったため、これから、手を動かすところから始めてみたいと思います。 授業として参加させていただいたのにもかかわらず、特に最後の方はスタッフというよりかは、参加者の方々と同じようにワークショップにも展示にもがっつり参加させていただいて、本当に嬉しかったですし、楽しかったです。本当にお世話になりました。ありがとうございました。