旅する地域考 2019夏編 未知の日常から、新たな問いと発見を生み出す。

旅する地域考 2019夏編 未知の日常から、新たな問いと発見を生み出す。

夏編 プレゼンテーション レポート

2019.8.10

鄭伽倻/吉田彩花/村上美樹

 

「旅する地域考 辺境を掘る夏編」の最終日、滞在先の「Bar & Stay Yuzaka」とその周辺を会場に、9名の受講生が10日間の旅を通して感じたことを、自由な形式で発表しました。受講生たちのコメントとともに、3回に分けてご紹介します。

 

 

#7 鄭伽倻   Kaya Tei

「チョコレートは別に溶けていませんでした」

 

薄暗い洗面所に鑑賞者を集め、音と朗読による祭祀的なパフォーマンスを披露。自身のルーツや内なる感情を作品化した。韓国式のお辞儀をした後、窓を開け、洗面台に腰をかけて「にいさん」から宛てられた古い手紙を読んだ。「にいさん」とは、むかし八幡平を旅行中に亡くなった鄭のおじを指す。「鹿角では、おじを探す旅をした。決して出会うことのない彼の存在をそばに感じながら歩くことができた」。

 

 

<statement>

 

襖を閉めて廊下に並び、おでこを座布団につける。幼いわたしは沈黙に耐えきれずに、隣の従兄弟にちょっかいを出したり、誰かのお腹の音をクスクス笑ったりして、静かに諌められるのが常だった。「えへん、えへん、えへん」咳払いを合図に部屋へ戻り、開け放っていた窓を閉める。その間におじが食事を摂っていた、ということになっている。

 

モノクロ写真の遺影でしか対峙ことのないおじ、「にいさん」の50回忌がこの夏行われた。小さい頃から「にいさん」は夏になると帰ってくる姿の視えない存在だった。チェサ(毎年命日の前日に行われる祭祀)の日、女たちは丁寧に祭壇に並べる料理を作り、男が中心で祭祀を行う。最後に部屋の窓を開けて全員が退室し、締め切った部屋に向かい、廊下で頭を垂れて黙祷する。咳払いの合図でチェサは終了し、その後家族でその料理を囲む。

 

言葉を持たない「にいさん」は誰かの極私的な眼で断片的に語られたり、うやむやに濁されたり、口を噤んで語られなかったりした。姿が視えないのは肉体がないからだと認識していたが、どうやらそれぞれの揺るぎない「にいさん」が時間とともに再構築されているようだった。

 

旅する地域考で鹿角を巡る中、「にいさん」が生前の旅で訪れた玉川温泉、夜明島渓谷、「にいさん」がいなくなったあと祖母が湯治のため度々逗留していた後生掛温泉を訪れた。また旅中に読んでいた母宛の手紙の一節に「君がもしもお母さんになったら」とあった。お互いが想像の中にしかない、流体の「にいさん」と「わたし」は記憶の中で気配を感じながら並走する。やがてわたしは肉体のない「にいさん」の身体で精神の旅に出る。

 

当日は会場のBar & Stay Yuzakaで洗面所を祭祀部屋と温泉に見立て、反響の強さを利用して音と朗読のパフォーマンスを行った。

タイトルの「チョコレートは別に溶けていませんでした」も母に宛てた手紙の中の一文から引用。母がチョコレートと一緒に送った、今は存在しない手紙への返事。実体がないのに物や言葉が浮かび上がってくる。

(鄭伽倻)


 

 

 

 

#8 吉田彩花 Ayaka Yoshida

「記」

 

テーマは「家族」。新聞や資料から抜き出した言葉の紙片を、赤い紐でランダムに繋げた作品を展示。鉱山街という特殊なコミュニティを調査して知った鉱山労働者の互助制度「友子制度」や厄払いの慣習「拾い親」をはじめ、家族にまつわる単語や記述を多くの資料から抽出した。


 

 

<statement>

 

言葉の物質性のようなものが昔から気になっている。

人の意思や記憶を共有できる言語という媒体も、前後の文脈から切り取られた言葉を見た時に思い浮かべるイメージが人によって千差万別な事も面白い。

 

今回は旅の道中に集めた鉱山街の地域誌など200ほどの資料を読み込み、家族に関する個人の記憶などの記述から印象に残った言葉を抽出した。

 

それぞれの言葉は紐で繋ぎ止めた。紐の赤い色は、血や運命の赤い糸などの縁の繋がりを思わせる。

繋がれた言葉達は触れて見て考えていると段々ぐちゃぐちゃに絡まっていってしまう、終わりのない「家族」というテーマを考える人間の思考のよう。

 

切り取られた言葉達と今後時間が経ってからまた向き合った時、きっと今とは違うことを考える。

これは今回の旅の記録のストックであり、今後続く思考の旅を助けてくれるかもしれない媒体である。

(吉田彩花)



 

 

 

 

#9 村上美樹 Miki Murakami

「未来の旅(3つのオブジェを山のように登る)」

 

個別リサーチで登山した秋田焼山周辺で撮影した写真と語りで構成したレクチャーパフォーマンスを行った。「作者不明の鹿の彫刻」「彫り込まれていない磨崖仏」「高村光太郎の『乙女の像』と詩碑」、鹿角地域の山と十和田湖で見つけた3つのオブジェが話の中心。ひとつのエピソードを話し終えるたびに、噛んでいたガムを支持体にして、登山ルートを記した地図上に山で採取した粘土を立たせた。

 

 

<statement>

 

4日間ゲストメンターや旅の仲間たちと共に鹿角の地域を回り、それが昨日だったのか、一昨日だったのか、はたまた今日だったのかわからなくなるくらいたくさんの情報に触れた。

 

5日目以降の個人リサーチでは、情報の整理のために山に登ることに決めた。山は秋田焼山。ツアーで行った後生掛温泉と玉川温泉を縦走するルートがある。

山に一人で登るときは、粘土のような質感の土を掘り、それを手に握りながら進む。誰かと手を繋いでいるように、願掛けのように、足を運ぶ。(熊に慎重になりつつ。とても敏感に進む。)

1つの山を登り終えたとき、別の場所だと思っていた2つの温泉が「秋田焼山」という布で覆われた。

 

全ては地続きで、景色がグラデーションのように変わっていく。

(ときたま唐突に。噴石が天から投げ込まれたかのように。)

 

自分で撮ってきた写真と、「語り」を混ぜながら、はたまた自分が行った別の旅の写真も混ぜながら、25分のプレゼンテーションを行った。

 

話したいことは4つ。

・名前のない公園のオブジェ

・山の中の 熊の糞のような岩石

・あまりにも彫り込まれていない磨崖仏

・高村光太郎の乙女の像とその詩

 

ひとつの話が終わるごとに、秋田焼山の歩いたルートの示されている地図の上に、噛んでいたガムを使って拾ってきた粘土を立たせる。

「語り」は形に残らないが、行動は形に残る。

私が熊に怯えながら(粘土の)手を繋いで山に登っていたように。

自分のした「語り」にガムを使って痕跡を残す。

 

たくさんのことを交えながら話を進めていったので、きっと全てを捉えきることは困難だと思う。

でも、この「旅する地域考」で経験した出来事をすべて咀嚼した時、こういう形で湧き上がってきたのは必然のような気もする。

(村上美樹)

 

 

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