発酵は大豆や米などが菌と触れ合い、酒や味噌などへと変容する現象です。醸造家は素材や菌、温度や湿度を組み合わせ素材以上の味を引き出します。そこに着想を得て、地域の様々な資源、因子などを発見し、掛け合わせて新たなものへと変容させる人材を「エリアブリュワー・地域醸造家」と名付けました。これは一緒にその意味について迫った全5回の講座の記録です。

AKIBI plusについて

形式
公開シンポジウム
会場
横手市十文字文化センター(秋田県横手市十文字町字西上38−1/0182-42-2076)
定員
50名
概要
横手は発酵のまち。地域資源を発見し、掛け合わせ、変容させる人を「地域醸造家」と仮定し、横手で展開するアートマネジメント人材育成プログラム。公開講座では、醸造、発酵食、まちづくりの専門家などを迎え、「発酵」をテーマにみんなで語り合います。

●パネルディスカッション 「地域醸造家って何だろう?」
●発酵食ランチ ※参加者実費
(デリカテッセン紅玉とCAMOSIBAのコラボによる地域産品ランチ)
●ワークショップ 「地域醸造家を定義する」

チラシ

講師紹介

コーディネーター/ファシリテーター平元 美沙緒

1983年徳島生まれ。大学生時代から伝統的建造物や景観を軸にしたまちづくりに関わる。結婚を機に秋田に移住。秋田市教育委員会で文化財の保存と活用に関するワークショップの企画や運営に携わる。大館市教育委員会でふるさとキャリア教育コーディネーターの勤務経験あり。現在は秋田県内のまちづくり活動やワークショップのファシリテーター等に従事。

京都市まちづくりアドバイザー 社会学博士 谷 亮治

1980年大阪生まれ。大学在学中より住民参加のまちづくりの実践と研究に携わり、2011年より現職。代表作に『モテるまちづくり−まちづくりに疲れた人へ。』(まち飯叢書)。本書の読書会ツアー「モテまち読書会」で、全国約40カ所およそ1500名のまちづくり実践者と語り合ってきた。

ラムヤート・toita店主 今野 満寿喜

1977年北海道伊達市生まれ。小中高を地元で過ごし、札幌へ。約10年間ほぼアルバイトで30以上の職を経験する。30才を前に人生の岐路に立ち、仕事より暮らす土地を大切にしたいと12年前に旧洞爺村へ移住。パン屋「ラムヤート」は商店街で四半世紀ぶりの開業だったが、その後に続き、今では13店舗程の店が営業。

たかえん 代表取締役 髙橋 基

1968年秋田県横手市生まれ。大学卒業後に帰郷し、家業の衣料小売店に就職。バブル経済崩壊後、新規事業立ち上げに挑戦し続け、2008年、地産地消の惣菜店「デリカテッセン&カフェテリア 紅玉」を開店。現在、地域の21軒の農業生産者と協力し、この事業を軸にしてインターンシップ、農産物の市場開拓等に取り組んでいる。

浅舞酒造株式会社 杜氏 森谷 康市

1957年秋田県横手市生まれ。大学卒業後、家業の農業を継ぐ。後に蔵元となる同級生に誘われ釜屋として浅舞酒造に入蔵。「おおらかな酒造り」をモットーに掲げ、夏は稲田、冬は蔵で年間を通して酒と向き合う。1995年には、その奮闘をまとめた著書『夏田冬蔵 新米杜氏の酒造り日記』(無明舎出版)を発刊した。

講座レポート

第一回目のシンポジウム「地域醸造家とは何か?」ではトークセッションとワークショップの二本立てで開催しました。横手の発酵食に焦点を当て、地域の様々な資源や因子を発見し、掛け合わせて新たなものへと変容させていく人材を「エリアブリュワー(地域醸造家)」と仮定し名付けてみました。この仮の定義をもっと実際的に、また現代から未来への地域への関わり方の模索の指標へと近づけるため、シンポジウムによって様々な事例や知見、多くの人々の考えを集結して定義していきたいと考えました。


そこで、今回のシンポジウムでは日常の生業を通して地域や人々に変化あるいは変化の影響を与え続けている方々を講師にお迎えしました。横手市十文字からは「デリカテッセン紅玉」を経営する有限会社たかえんの髙橋基さん、横手市浅舞からは銘酒「天の戸」を醸す浅舞酒造杜氏の森谷康一さん、北海道洞爺湖からはパン屋「ラムヤート」と地元食材のセレクトショップ「toita」店主の今野満寿喜さん、京都からは「京都市まちづくりアドバイザー」で社会学者の谷亮治さんにお越しいただき、日常のお仕事や関わっている方々の活動をご紹介いただきました。これらの話を谷さんにまとめていただいた後、ファシリテーターの平元美沙緒さんの進行で、“地域”、“醸造家”、“アート”、“発酵”のキーワードを材料に、講師陣による「地域醸造家」の定義へ近づいて行くためのアイデアや考え方の整理を行いました。


事例紹介では、髙橋基さんからは十文字の街で起こしている新たな地域交流の在り方として、近い意識を目指せる仲間であればフィールドを越えた交流も厭わずに良いものはどんどん取り入れて成長していく話や、大学生のインターンシップ制度を活用した農と食に関わる人材の育成プログラムについてお話がありました。


一方、森谷康市さんからは目に映るあるがまま全ての風景をビンに収めていただくことについて、横手の地域にあるもののみで作るというある種の条件下の中で醸造していくことで結果的に他にはない魅力へ仕上がっていたというお話があがりました。同じ横手を舞台にお仕事をされていても、地域という言葉の捉え方が違っていたことが印象的でした。


今野満寿喜さんからは何もないと思われたところからパン屋をはじめ、そこでのライフスタイルに共鳴した移住者が増え、家やお店がポツポツと増えていき、いつのまにか集落が形成されていたという話が上がりました。また、“楽しい”と“楽(ラク)”は違うという観点から、豊かな暮らしとは何かといった話題にも繋がりました。


谷亮治さんからは、自分が会いたい人に会えるという目的を達成できて、それがみんなのためにもあった人のためにもなる、さらにみんなのためになるから会いたい人にも空いやすくなるという、まちづくりの正の循環の事例として、自費で地域情報紙を作っている方の取り組みなどが紹介されました。


講師からの事例紹介に続いて、平元美沙緒さんのコーディネーションで、“地域”、“醸造家”、“アート”、“発酵”のキーワードについて、各講師から考えや、関係する知識、経験をお話いただきました。ここで得た学びや情報は、午後からのワークショップへと繋げられていきます。


発酵や発酵食、醸造に注目したり、口で言ったり、考えたりしているだけではなく、五感を使って学んでいきたいと考え、昼食は、十文字で様々な食材や発酵をうまく使いながら営業され、今回の講師でもある髙橋基さんが経営されるデリカテッセン紅玉と、AKIBI plus横手の地域アドバイザーである阿部円香さんのHostel & Bar CAMOSIBAのコラボによる発酵食ランチをお願いし、講師、参加者、スタッフ全員で堪能しました。

 

午後からは参加者と講師やスタッフも交え、平元美沙緒さんの進行で、横手の情報誌や地図、広告など印刷物の山から、午前のディスカッションを経て自身が考える「地域醸造家」に関連すると思われるワード、要素を切り取り、コラージュによって各々の「地域醸造家」を表現しました。5人ほどのグループで個々人のコラージュ作品を紹介し合った後、各グループで「地域醸造家」を説明する文言を考えていきました。


さらに各グループで作られた文言を全体で共有し、会場全体で「地域醸造家とは」を考えていきました。会場全体が発言を繰り返していく熱気と、多くのやり取りやインプットで若干の疲れが見え始めてきた頃、ついに「地域醸造家とは、変化と成長に向き合い、うまくいくための知恵やノウハウを持って、触媒となって動けるひと」と定義するまでに至りました。ここで一旦定義しましたが、これから講座を重ねるごとに受講生の中でも変化していくことと思われます。地域醸造家の人物像、定義がどうなっていくのか、楽しみです。(永沢碧衣)


講座参加者から各講師へ質疑応答

髙橋基さんへの質問と感想
Q 世界中を旅してきた経験をふまえて、何故、秋田(そして横手)か、 十文字でなければならなかったのでしょうか?
A 特に理由はありません。 世界を旅した経験から、平和でさえあれば人はどこでも生きていける、という確信があります。 私には、人にとって「そこ」でなければ成し遂げられないものというものはあまり思いつきません。たまたまここに生まれ育ち、この土地に愛着を持って暮らしていく、という決心をしたということです。
Q 「ていねいなくらし」「あそびのあるくらし」具体的にどういうことでしょうか?
A 人はただ生きていくだけでは「人間らしさ」を維持出来ないでしょう。その人間らしさとは何かを定義するとき、私は「あそび」というものに行き着きました。
人は、絵を描かずにいられない、リズムを刻まずにはいられない、物語りをせずにはいられない。 それこそが人間らしさだろうと思います。 一杯のコーヒー、紅いマフラー、花瓶の一輪挿し、口ずさむメロディー...
生存の為に必要では無いが、人間らしさの為には無くてはならないもの。それが私のいう「あそびのあるくらし」です。そのひとつひとつの「あそびのあるくらし」を味わい愛でながら、我々の先祖がそれを伝えてきたことに感謝して、次の世代に、その豊かさや幸福感を、「それとはなしに伝えること」。それが「ていねいなくらし」だと私は考えます。
Q 紅玉を食材としてケーキの他に試行している、商品化したものはありますか?
A ケーキの他には、「りんごチップス」「コンポート」「セミドライ」などです。
Q りんご農家の後継者は十文字から選ぶのでしょうか?
A りんご農家は私のお店に直接搬入出来る方なら、どこでも取引しています。
現状は十文字よりも増田や平鹿の方が多いですね。
Q 杉山夫妻があらわれてびっくりしました。納品は良く運動したニワトリの卵とうかがっております。最近はサツマイモも納品されているのでしょうか?
A 杉山さんは、私たちと最も長いお付き合いをしている生産者の一人です。
卵はもちろんですが、エゴマ、ズッキーニ、スティックブロッコリー、じゃが芋、さつま芋などを頂いています。
Q まず初めにやろうとしたことは何ですか?
またそれをやると決めた時、どこから(誰から、もしくは何から)動かれましたか?
A デリカテッセン紅玉については、家内の想いが強く反映された事業です。
料理のレシピ化や建物の設計については家内がリーダーシップを発揮しました。
私は、チームビルディングとマーケティングに力を注ぎました。 最初に取り組んだのは社員予定者とのミーティングです。 何度も話し合い、というよりは意見を聞かせてもらい、それを整理し、今後を皆で決める。 その繰り返しをしていきました。
最初の3か月で惣菜販売だけでは経営が成り立たないことを見通し、どうするかを考える中で、社員にお客様の声を集めて欲しいとお願いし、その声からイートインを作りました。 お弁当も、オードブルも、宅配も、そうやって決めていったことです。
まとめると、人が本音の意見を言いやすい環境にし、皆に参加者意識を持ってもらう、ということに取り組み続けています。
Q 信頼関係を築くために心がけている具体的な取り組みはありますか?
A 信頼関係は、各々が自分の足でたつ「自立(自律)」が前提になる訳ですから、誰とでも結べる関係ではありません。私は仕事上の信頼関係は「他の誰かに守って欲しい人」を作らないことだと思っています。 その為に信頼関係を築くには、「好き嫌い」以上の価値観を共有することが第一に必要だと思っています。
それは「私たちは何を目指すのか」と、「だから私は何を担うのか」です。
これが明確になると、力を合わせることも、助け合うこともしやすくなりますし、また一定の裁量をもって自由に判断し、行動することがしやすくなります。その上で皆一緒に修羅場をくぐることです。良く同じ志をもって取り組む人を「戦友」などと言うことがありますが、この言葉は私は好きではありません。ですがその意味することは、何となく理解出来ます。
独りでもやっていくし、他の誰かともやっていくが、あなたとやっていくのが最も真剣になれる、自分を発揮出来る、そんな関係を互いに目指すことが大切だと思います。
Q もともとの家業の衣料小売店。今考えると、その小売店からできたと思えることはありますか?また、できなかったことはどんなことでしょうか?
A 小売店のDNAは、販売・流通・営業・顧客第一という行動に反映されていると考えます。 「飲食店」ではなく「惣菜販売店」という製造販売業種を選択したこと、「クッキングアップル」という食材の卸に目が向いたこと、農家との連携体をつくったこと、県外の洋菓子店等を訪問させて頂いていること、商売を通じて人との出会いや友情、信頼関係をつくり広げていくこと、顧客である女性ということを軸にして、サービスの多角化を考えること、そんなところでしょうか。逆に出来ないことも一杯あるでしょうが、良くわからないですね。


森谷康市さんへの質問と感想
Q 酒米の品種によってできた酒の味が違うと思いますが、「味をつくる」「こんな味にする」を目的に、酒米の品種改良は可能ですか?
A このことも品種改良の組み立ての中にあると思います。
田んぼでよく育つことと同じくらい大切だと思います。
Q 過去に二度ほど蔵に行ったことがあります。私も秋田市新屋で蔵に入って醸しております。 年2回、13年も続けると大分わかってきました。
A わかったことがあると、その分もっとわからないことが見つかる世界だと思っています。
Q 盆地の風景についてどう思い描いていますか?
A 蔵が存続するためには、学校に「校風」があるように酒蔵には「蔵風」がなければいけないと思います。それをコツコツ積み重ねていく必要があると思います。横手盆地の風景は農業が作っている部分が大きいように思います。「農業は風景を作る仕事」として位置づけることが必要と思います。ただし、私自身すこぶる楽天的ですみませんが、次世代は「親勝り」で必ずやいい時代にしてくれると信じています。
Q お話をきいていて全てが「循環」しているという印象を持ちました。
それは意図して起こったことなのでしょうか、それとも結果としてそうなったのでしょうか。
A 今回の話の中にもありましたが、いろんな人との出会いがその道筋を造ってくれたと思います。自分たちが小さな方向性を打ち出したら、 いろんな人が「循環」を結果的に造ってくれたように思います。
Q 最初は家業の農家からスタートした、との事ですが、農業のみを続けるという事は難しかったですか?
A 農業も好きです。酒造りも好きです。その組み合わせがもっと好きです。楽しいです。
Q どぶろくを作る事がありますが、ドライイーストを入れないで作る方法はありますか?
A 私共は国から免許をもらって酒を造っております。できれば「甘酒」で とどめていただくことをおすすめします。


今野満寿喜さんへの質問と感想
Q いつも菓子パンばかり食べています。甘いです。三食食べられるパンを食べてみたいものです。
A 僕らが作っているのは朝昼晩の食事に向く、食事パンを作っています。
菓子パンは3時のおやつのためのパンだと思っており、もし興味がありましたら地方発送なども行なっておりますので、機会がありましたらご連絡下さい。
Q なぜ、商店街をつくろうと思ったのですか?また、そこを選んだ理由を改めてお聞かせ下さい。
A 究極に言いますと出不精だからです。もともと景色の良い所に暮らさせてもらっているので、遠出の必要性はなかったのですが、買い物には不便でしたし、若者がいなくて少々退屈にも思っていたので、人を増やしてみようと思いました。 この土地を選んだ理由は自然風景の良さと、このエリアに暮らす人々の穏やかな気質と、多すぎず少なすぎない人の数が魅力的だったからです。 この物件を選んだ理由は、当時ここしか空き家がなかったからです。しかし、この空き家の場所は商店街の中心地であり、この家に暮らし始めなければ商店街の活性化は考えなかったと思います。
Q 元々地域に住んでいる方とどのように信頼を得る事ができたのでしょか?その頃、トラブルはありませんでしたか?行政の協力はありましたか?
A 地域の信頼を得ているのか?は今でも疑問ですが、少しづつ実績と言えるものが出てきた証拠なのでしょうか?応援してくれる人は増えてきました。 行政の協力ですが、開業時も今までも行政には頼っていません。理由は2つありまして、行政からおりるお金は皆の税金なので、そのようなものを利用するには抵抗がありました。また、行政の担当の方がつく場合、町にとってはそれは人材コストとなります。僕らに時間を使ってもらうよりは、もっと困っている他の方のために、その人材コストは使うべきものかと思いました。 結果的にアイデアと行動力で基盤の強い組織が出来上がったように思います。
Q 10年後の商店街のすがたを、いま、どう描いていますか?
(山での自給自足の生活と関連させて)
A 言ってしまうと、なるようになっているとしか考えていません。笑 ただでも商店街がダメになったとしても、個人、家族、組織、そしてこのエリアの仲間と協力して、楽しく力強く生きてゆける生命力のようなものを獲得できていたらと思います。山暮らしはそのための一環であるとも言えます。
Q お客様のメインは他地域だと思いますが、情報発信方法は何ですか?
どのように誘ったことで友人は移って来られたのでしょうか?
A 僕は面倒くさがりです。 例えばショップカード、SNS(自店のホームページ)、雑誌やテレビなどへの掲載などコスト(お金、労力、心労)などがかかることが嫌です。これらの情報ツールが無くては店の経営は困難になると言われていますが、それらのものがなくては潰れてしまう店は始めから無い方がよいと考えています。その代わりに丁寧な商品作りやお客様が喜んで下さるコミュニケーションを心がけており、結果的にお客様が噂をしてくれるお店になっているのでは?と思いますが、あまり戦略的な仕事の仕方には興味が持てないので、この程度のことしか思いつきません。笑
Q 札幌からご友人を誘われたとの事でしたが、どのくらいの人数の方を 勧誘できたのでしょうか?若い方々の田舎への移住の決め手は何だったのでしょうか?
A 実際に声をかけて来てくれた家族は10組程度だと思います。それ以外では自ら来たくて来た方への物件の斡旋などは何組になるか分かりません。 一般に田舎への移住の際に一番の気掛かりは、仕事や経済面の不安だと思うのですが、経済的な面でのサポートは行なえませんが、一緒に仕事を作り、迷い揺れながらも皆さん自立への道を見つけている、見つけ始めているように思います。そして 一番大切なことは苦楽を共にすること、その事柄自体を楽しんでしまうことのように思います。


谷亮治さんへの質問と感想
Q まちづくりで今一番気になっているのが、過疎化が進んでいる限界集落です。私の住んでいる地区も休耕田や空き家で荒廃が進んでいます。自分も中高年にさしかかり、何ができるのだろうかとふと思う事があります。
A ご自身の住まわれている周辺が限界集落化し、休耕田や空き家の荒廃を気にされているように読み取れました。谷は「問題」を「こうであってほしいのに、そうなっていないこと」すなわち「願望と現実とのギャップ」と定義し、「課題」を「問題を解決するためにすべきこと」と定義しています。もし、質問者の方にお答えするとすると、何か行動するためには、まずは「問題」、つまり、「自分はこのまちに、どうであってほしいと思っていて、そして現状はどうなのか」を考えることから始めることをおすすめしたいと思います。
Q 地域ボランティアの悩みのひとつが「ボランティアの高齢化」 「若い人の集まりが悪い」だから「疲れる」「やめたい」となる一因となってますが、 「仕事」と「ボランティア」の共存の好例はありますか?
A 「ボランティア」という言葉の定義によると考えます。思うに質問者の方はボランティアを「無償労働」というようなニュアンスで用いられているのではないでしょうか。そうすると、ご質問にもあるように、やってもやっても報われませんから、疲れるし、やめたくなるし、若い人は集まらなくなって、結果として活動が高齢化するという現象が起こりがちです。参考までに記すと、谷はボランティアを「非契約活動」と定義しています。反対に、事前にサービスの受け手と対価支払の契約を交わしてから行う活動は、一般にビジネスと呼ばれるものになりますよね。さて、そうだとすると、僕らは日々、サービスの受け手と事前に約束をしないまま、いろんなサービスを提供していることに気付きます。身近なところで言えば、ちょっとした気遣いや微笑み、愛想笑い、迷子の人に道を教えるとかもそうでしょう。お仕事の中でもきっとしているはずです。例えばお店でお客さんに親切にすることは、仕事でしょうか?ボランティアでしょうか?少なくとも事前の契約に入っていないのであれば、それはボランティアというべきものでしょう。そして、そうして親切にすることでお仕事もうまくいくのだとすると、お仕事とボランティアとは、実はすでに共存しているものなのだと谷は考えます。むしろ問題は、お仕事と切り離したボランティアを無理にしようとする場面で起こるのだと谷は思います。本来これらは不可分なものなのです。
Q 今までで一番面白いと思った「まちづくり」の取り組み事例をお聞かせください。
A 当日ご紹介した、THさんの2439プロジェクトは、まちづくりの見方を大きく変えてくれた、とてもおもしろい事例だと谷は考えています。
Q 町づくりに疲れている!頼まれると、断れない!・・・がたまっています。
上手にことわる方法はありますか?
A なぜ頼まれると断れないのでしょうか?断ると、相手から、何か不利な条件を押し付けられたり、攻撃されたり、バツの悪い思いをさせられたりする、と無意識のうちに想像して怯えているからかもしれません。そういう不安感のことを、エイミー・C・エドモンドソンという学者さんは「対人不安」と呼びました。対人不安がある場合、僕らは、相手の誠意や倫理を、信じられていないのです。逆に、この人は、自分が断ってもバツの悪い思いをさせたり、攻撃してきたりしないだろう、と信じられる感覚のことを、エイミーは「心理的安全感」と呼びます。依頼を断れるか、断れないかの前に、相手との間に心理的に安全な関係が築けているか、ということが大事と思います。ちなみにいくつかの研究によれば、心理的安全感は、頻繁に対等にお話しした経験が積み重なって育てられると示唆されています。依頼するされるの関係になる前に、お話しをたくさんすることをおすすめします。
Q その土地や市町村の気質の違いというのはありますが、 ひかえめな地域(思っていても話し合えない!、そういう場がない、など)に対して、 市役所の立場としてどういう役割があると思いますか?
A 一般論として、市役所、つまり行政の強みというのは「中立的で信頼感があること」といえます。特定の誰かが話し合いの場を持つと、どうしてもその人の立場や思想によって、参加者や関係性は規定されるものです。例えば派閥対立や、利害の衝突のようなこともあるかもしれません。そういう背景があると、前述の対人不安が高まって、なかなか思っていても話し合えない、ということが起こりがちです。一方で行政はその地域の人々みんなから税金を頂いて支えられているわけですから、特定の派閥や利害に肩入れすることは原則としてありません。 なので、中立的な立場を保ち、みなさんが話し合える場をしつらえることができるという強みがあるといえます。

横手かまくらFM紹介

ア・ラ・美JOY」2017.9.22放送
メインパーソナリティ 岩澤亜沙美
(再生時間18:42)

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