男鹿 神々と生きる島を探る

『海から来るもの・迎える者』信仰と伝説~生活と民俗を探る

[形式]
フィールドワーク
[日程]
7月22日(土) 〈昼の部〉9:30~16:00/〈夜の部〉18:00~20:00
7月23日(日)  9:15:~16:00
[場所]
(1日目) 鵜ノ崎海岸~能登山の椿~五社堂など
(2日目) 加茂青砂~目潟群(火山湖)~八望台など
[概要]
AKIBI plus男鹿では、地域の魅力を幅広く発信していくための仕組みとして、フィールドワークと生活体験を同時に提供する「ショートレジデンスプログラム」の構想を進めてきました。男鹿地区は独特の自然条件を持つことで知られ、そこには風土に根ざした様々な民俗や信仰の歴史が息づいています。このプログラムは、数日間の日程で実際に男鹿に住み、生活を体験しながら史跡や名勝を訪ね、男鹿を丸ごと体感し学んでもらうという仕組みです。男鹿を理解し男鹿を愛する「男鹿友」を地域の外に増やしていく、そんなプログラムを構想しながら、まずは第一歩として我々自身が男鹿の魅力を探して歩こう、というのが本講座のねらいです。
本年度のAKIBI plus男鹿 では、昨年度に引続き、主に男鹿半島の南磯〜北西部の海岸エリアの地形と、古くから地域に暮らす人々に伝わる信仰や伝説、生活や民俗を探る為、フィールドワークを行いました。
初回は2度に分け、1日目は男鹿半島の南磯エリア、“日本の渚百選”や“日本の地質構造 百選”としても知られる鵜ノ崎海岸では不思議な地形を、椿地区では男鹿市の花としても知られ、“ヤブツバキの群生地”ともなっている『椿』にまつわる“能登山のツバキ 伝説”の地を散策する予定でしたが、残念ながら初日の午前中と、夜間から翌日の朝方まで続き秋田県内に大きな災害をもたらした猛烈な暴風雨に見舞われ、スケジュールの短縮と変更を余儀なくされました。

[講師]
夏井興一(男鹿の自然と文化の会 会長)
永井登志樹(菅江真澄研究会 理事)
土井敏秀(加茂青砂地域在住)
松橋和久(パソコン教室 ら・く・か 代表)
[レポート]
〔7月22日〕
赤神神社 五社堂(長楽寺)周辺〜 不動滝・白糸の滝・舞台島~里山のカフェににぎ

第1日目の午前は、集合場所の鵜ノ崎海岸から昼食会場の赤神神社 拝殿へと直行し、講師の夏井興一先生(男鹿の自然と文化の会会長)と永井登志樹先生(菅江真澄研究会理事)の屋内講義にて午前中のフィールドワーク予定地について解説いただきました。講義の場として会場提供して下さった赤神神社の元山(もとやま)宮司様のご好意で市の指定文化財『漢の武帝に桃を捧げる図』等の貴重な文化財を拝見させていただきました。

午後からは、門前地区では鬼が積んだといわれる999段の石段で知られる赤神神社 五社堂(国指定重要文化財)まで登りました。その後は西海岸エリアにて“漢の武帝”が降り立ったという伝説が残る「舞台島」を展望した後、断崖を絹糸のように流れる絶景の「白糸の滝」を見学。講師のお二人によると 海(舟)から観た景色も素晴らしい、との事でした。
雨天のため、講義のみとなっていましたが、男鹿半島には南磯・北磯エリアに椿の群落地が2ヶ所あります。それは一体何を意味するのでしょうか?男鹿半島のヤブツバキの花の色、赤神神社、ナマハゲのお面など、不思議と“赤”という色の共通点に気付かされます。もしかしたら現存する言い伝え以外にも何か特別な理由があるのかもしれません。


〔7月23日〕
加茂青砂(津波・カンカネ洞・盆踊り)〜 戸賀湾〜八望台(目潟散策)2日目は、現地に向う途中から天候が回復に向いました。午前中は、岸壁に囲まれ、かつては主な交通手段が舟であったといわれる 西海岸の加茂青砂地区へ。この地域に暮らす土井敏秀さんの案内で、現在は廃校となっている「旧男鹿市立加茂青砂小学校屋内体操場」を訪問しました(昭和26年に建設された体操場と昭和3年に建設された校舎はどちらも国の登録有形文化財)。ここでは、漁師達の生活や地元に伝わる男鹿半島独自の盆踊り「だだだこ踊り」等について学びました。区長さんをはじめ地元の方達数名が迎えて下さり、地元にまつわるお話を伺いました。

その中では、地元の信仰についてのお話がありました。漁師さんたちは、毎年1月10日に船で海に出て海の神様を迎える行事を行い、翌日11日には漁師の家では神様のお姿(漁師さんによると龍神様だと思われる)を描いた掛け軸を掛け、お祀りするそうです。また、現在は行われていませんが、昔は収穫された麦に火をつけ燃やしたそうです。福岡では同じ日に十日恵比寿のお祭りがあります。もしかしたら大漁祈願のお祭りという共通点があるのかもしれません。
また、先代まで続いていた“海女”の文化、大きな秋田杉をまるごと一本くりぬいて作られた「丸木舟」での漁、そして高台に櫓を建ててボラを捕獲した漁法についての説明もありました。
加茂青砂では、昭和58年5月26日に起きた日本海中部地震の悲しい過去の出来事についてもお話を伺いました。この地震では、当時遠足で訪れていた北秋田郡合川町(現北秋田市)立合川南小学校の児童43人と引率教諭たちが津波に襲われ、その内児童13人が亡くなりました。救出にあたった地元の方達の鮮明な記憶と証言は大変貴重なもので、震災の恐ろしさを改めて認識させられました。

加茂青砂での講義の後半は、男鹿の盆踊り「だだだこ踊り」について。地元の婦人会の方達が踊りを披露し、受講生達も地元の男性(70代)が叩くリズムに合わせ 輪になって一緒に踊りました。
男鹿半島から東(八郎湖の東側)にある八郎潟町の一日市(ひといち)の盆踊りとは共通点が多く、男鹿の「だだだこ」が一日市では「キタサカ」、「ダガジグ/男鹿」が「デンデンヅグ/一日市」と同様のリズムで、共に拍子が早く軽快なリズムが特長との事です。その他にも「サンカチ踊り」というのがあるそうですが、残念ながら加茂青砂地区では「だだだこ踊り」以外のリズムを太鼓で叩ける方がいないようです。

前日、男鹿の椿について講師をして下さった永井先生の私見によると、「一日市の盆踊りは優雅で洗礼された身振りだが、男鹿の方は所作が奔放で荒々しく、どちらが古いのかは、はっきりしない。江戸時代後期の紀行家 菅江真澄の記録などから、一日市を中心とした八郎潟東岸(南秋地域)から男鹿の海岸部へ伝播したように思われるが、越後以西の音曲が日本海の海上交通で初め男鹿に伝わり、内陸部へ広まった可能性も捨てきれない。尚、男鹿で盛んに踊られている北海盆踊は、北海道への出稼ぎ漁撈従事者によって新たにもたらされたものである」とのことです。
また、男鹿の盆踊りはどこの集落も唄や踊り、太鼓の叩き方がほぼ同じ様だが、旧若美町の福米沢(ふくめざわ)地区の盆踊り「福米沢送り盆行事」は他の地区に類を見ない独特の仏送りの行事だという事です。
午前中の講義終了後は、加茂青砂地区の海岸や集落の奥にある「カンカネ洞」を散策しました。

午後からは、男鹿半島の景色やディープスポットをよく知る講師の松橋和久先生(パソコン教室ら・く・か代表)の案内で、フィールドワーク最後の目的地、八望台に向いました。途中、岸壁から望む多数の岩脈を見学。古い岩石の割目にマグマが入り込んで板状に固まり、波に浸食されて今の形に成ったものだといわれます。

そしていよいよ八望台に到着。ここは、高松宮殿下により命名された事や夕陽スポット等、八景を望める観光地としても知られています。そこからわずかに望める男鹿市北部の水源地、一ノ目潟は「男鹿目潟火山群一ノ目潟」として国指定文化財として指定されています。この目潟火山群は東北で唯一の“マール”という爆裂火口です。その中でも一ノ目潟は安山岩中にマントル起源の捕獲岩を含んだ噴出物のあった火山として、世界で初めて知られ、世界的に注目を受けたそうです。

2日間にわたるFWでは、地元における土着的文化の他、ジオパークとしても知られる地形と歴史を学びました。昨年度とは異なり、豪雨と晴天という両極端な気候も経験し、とてもダイナミックで自然に寄り添った体験が出来たと思います。
今回のテーマ『海から来る者・迎える者』が、実際にこの地に伝わる伝承だけに留まらず、好奇心を持ってこのFWで得た皆様の想像力の源となってくれたら嬉しいです。


レポート/猿田真(AKIBI plus2017男鹿 地域アドバイザー・企画運営)
写真/船橋陽馬


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