平成26年度 秋田公立美術大学入学式 学長式辞

2014年4月4日

平成26年度 秋田公立美術大学 入学式 学長式辞

 最初にまず何よりも、新入生の皆さんにお礼を申し上げます。進学先にこの大学を選んでくださって、ありがとうございました。日本全国には、たくさんの美術大学があるのにもかかわらず、皆さんはそのなかから出来たばかりの、まだ評価の定まっていないこの大学を選んでくださいました。そのことにまず、心からお礼を申し上げます。

大学案内などで見ていただいている通り、本学には独自な美術の理想があります。皆さんにはその独自な理想を身に付けていただきたいと思います。そして4年経って、卒業する頃には、「面白かったなあ」、「これからは、こういう美術の時代が来るんだ」、「これなら就職先の会社でも役立ちそうだ」と納得してもらえるよう、わたしたち教職員一同は努力することを、ここにお約束いたします。
ところで、唐突なんですが、皆さんは「明田富士」という名前の富士山をご存じですか? 高さは35m。日本山岳会から、日本で一番低い富士山というお墨付きをもらっています。

実は昨日、この富士山に登ってきました。皆さんのなかには、新幹線で秋田にいらっしゃった方もいると思うのですが、新幹線は秋田駅に滑り込むその少し前に、大(たい)平(へい)川の鉄橋を渡ります。鉄橋といっても100mもない短い橋ですが、そのあたりで、秋田駅に向かって右側に、可愛い山が見えます。これが明田富士です。
行ってみて驚きました。ちゃんと富士山史跡案内図という看板があり、その裏手には、正式な登山口もありました。息を切らせながら登山を試みました。私は中学生のとき、学校の行事で、富士山に登ったことがあるんですけど、昨日は二度目の富士山踏破でした。ようやく山頂に着いたんですが、そこには富士大権現をまつる社がありました。
高さ35mの山頂ですが、周囲に山がないので、そこからは秋田市すべてが見晴らせ、その眺めはすばらしかったです。北は男鹿の寒風山から、南は鳥海山まで見えます。
しかし、それ以上に驚いたのは、山頂の金網に寄り添うようにして、若い女性がひとり、愁いを含んで立っていたことです。
飛び降りそうな気配だったんで、つい、「何を見てるんですか」と声をかけてしまいました。そうしたところ、その答えは予想外でした。その女性は言いました。「秋田公立美大を見てるんです」。
聞けば、お嬢さんが富士大権現で合格祈願したところ、その願いが叶ったので、その喜びを噛み締めているところだったそうです。

さて、本題に戻りますと、なぜ、明田富士の話をしたかと言えば、実は日本中になんとか富士という富士山がたくさんあるのですが、それらが皆さんのご先祖がこの150年間くらいかけて築き上げてきた「近代」や「現代」という時代の特色を物語っていたからです。
いうまでもなく、富士山の本家は静岡県の霊峰富士です。その分家が明治時代から日本中に広がっていったのですが、それを促したのは、「日本風景論」という一冊の本でした。
著者は志賀重昂という人です。志賀は日本という国家が優秀であることを世界に誇るために、明治27年、1894年にこの本を書きました。風土や火山を題材にして、国家の価値を語るというのも不思議な話ですが、かつてはそういうことができたんですね。
志賀は富士山について、こう書いています。富士山は古くから信仰の対象とされてきた名山で、さらにその優美さは、日本のみならず全世界から賞賛されていると言うのです。志賀は富士山に、世界に冠たる日本国家の象徴という称号を、与えたのだということができるでしょう。
その結果、日本中で、おらが郷土にも富士山があるぞとばかりに、競ってなんとか富士が命名されていきました。有名どころは、津軽富士、出羽富士、近江富士、伯耆富士、薩摩富士などでしょう。これらの山々には、蝦夷富士には羊蹄山、津軽富士には岩木山、出羽富士には鳥海山、近江富士には三上山、伯耆富士には大山、薩摩富士には開聞岳、という本名のあることはご存じの通りです。
明田富士もそのひとつでした。なかには、こんなのもありでしょうか、どうした経緯で名づけられたのか分かりませんが、アメリカのタコマ富士・オレゴン富士、ニュージーランドの南洋富士という例もあるそうです。

さて、ここからが本題なのですが、わたしは志賀重昂が富士山に託して掲げた、世界に追いつけ追い越せという類いの、上昇志向あるいは欧化主義の時代は、もう終わりにすべきだと考えています。そして上昇志向や欧化主義の副産物として日本中を覆った、「右へならえ」式の国家統合も時代遅れになっていると考えているのです。
駿河の富士山に倣って、日本各地の火山を富士山に見立てていくような、全国一律の社会発展はすでに限界にきています。
とくに、皆さんがこれから学ぶ美術の領域では、海外の最新の前衛芸術といった類いの、単一モデルを芸術に設定する考え方は、すでに過去のものとなっています。現在では、多種多様であること、これこそが、芸術的価値の本質だと理解されています。
ニューヨークやベネチアなどの、世界の美術の檜舞台で評価される絵は、どんな絵でしょうか。それはなんとか富士のような無国籍な山の絵ではありません。受賞するのは、アーティストが故郷の山を描いた絵です。
ですから皆さん、単一の芸術モデルを巡って、外国や他人と競い合うような、富士山型の発想には別れを告げようではありませんか。そして、山の高さや壮麗さに序列をつける、山型社会も止めにしましょう。
それよりも、それぞれが協調し合い、それでいてそれぞれには独自の深淵さがある、いわば海型社会をつくっていきませんか。
海にはなぜか、なんとか太平洋といった類の、お互いの勢力関係を暗示するようなネーミングがありません。それは、人が海を見たとき、そこには優劣が感じられないからではないでしょうか。海はその深さによって、それぞれの海域の特色をつくりだしますが、人はその違いを、競争の結果とは見てこなかったということです。
21世紀の中頃には、皆さんが社会の第一線で活躍する時代が来るでしょう。そのときには、美術の領域だけでなく、社会全般が山型社会から海型社会に移行していることを願っています。
人が動物である以上、競争はなくならないでしょうが、その競争はひとつの物差しによって、ジャッジされるべきではありません。そしてその競争は、力ではなく、深さによっておこなわれるべきです。皆さんには、その担い手になって欲しいと期待しています。
本学での4年間が、その礎となるよう、わたし達教職員も精一杯、努力します。

さて、最後になってしまいましたが、皆さん、あらためて入学おめでとうございます。保護者の皆さまにも、心からのお祝いを申し上げます。
また、お忙しいなかをご臨席賜りましたご来賓の皆さまにも、お礼を申し上げます。

新入生の皆さん、一緒に、21世紀の美術と社会をつくっていきましょう。

 平成26年4月4日
秋田公立美術大学
学長 樋田豊次郎