学生にインタビュー

竹内駿(大学祭実行委員長)

一年間で一番印象的だった出来事は何ですか?
私にとって印象的な出来事は大学祭実行委員長になったことです。大学祭は野外を中心に2日間に渡り行われます。作品展示、模擬店や野外ステージでのダンス、路上パフォーマンスなど試行錯誤しながら実行しました。当日は強風の影響など予想外の出来事がありましたが、2日間通して無事に終えることが出来て良かったです。

自分の中で、変化はありましたか?
楽だったとは思いませんが、大学祭実行委員長としての仕事は多くは無かったようにも感じます。それは他の実行委員や分野長の助けがあったからです。実行委員長の仕事の中で最も緊張したことは、初対面の目上の方々との電話や会議でのやりとりです。これが実行委員長の仕事の中で最大の不安要因でした。最初はかなり声が震えていたみたいです。頼りないですね。ですがやはり続けていると少しずつ慣れていくもので、まだまだ緊張はとれませんが何とか声の震えは無くなったみたいです。私が実行委員長を経験して感じた変化はこんな些細なことばかりです。やり終えたからといって私の中で何かが大きく変わるわけではありません。しかしやっておいて良かったと今は思っています。

今後挑戦してみたことを教えてください。
今後挑戦してみたい事は、自分の作品をより多くの人に見てもらうために、個展を開きクララトフェアに参加する事です。目標を立て日々行動するようになったのは実行委員長を経験したからだと思います。多様な実技演習や講義がある美術大学で学んでいると、これからの人生のどこで何が役に立つのかはわかりませんが、いざという時に強みになるものが、学生生活のうちに一つでも多く身に付けられたら良いと考えています。

 

佐藤はるな(自主制作・日本画)

一年間で一番印象的だった出来事は何ですか?
日本画の画材を使い自主製作でも絵を描いています。昨年は、4月に仙台市で行われる「第77回河北美術展覧会」に初出品・入選、6月に「第56回秋田県美術展覧会」に初出品・奨励賞を受賞、9月は仙台市で行われる「第8回東北の建築を描く展」に三度目の出品・賞候補、2月にはフォンテAKITAにてグループ展「5人展」と「平成26年度自主制作作品展 まめでる展」に参加しました。特に秋田に来てから初めて出品した「秋田県美術展覧会(通称・県展)」と、グループ展の参加が、最も印象に残りました。

自分の中で、変化はありましたか?
県展は、県出身者と在住者に限り出品できます。他大学の学生や、秋田で活動されている日本画家の方々の作品を拝見し、お話を伺いました。同じ土地で、同じ「日本画」を学ぶ先輩の意見を聞き、精進しなければと感じました。また、他の人から自分にない考えや表現方法を学びました。グループ展では一般の方からも感想をいただきました。来場者アンケートから、コンセプトや展示方法など、考え直すべき点を知り、勉強が足りないと改めて思いました。

今後挑戦してみたことを教えてください。
今後は作品制作だけでなく、様々な考えに触れ、自分の幅を広げたいです。これまでは好きなものを楽しく描いているだけでした。しかしそればかりでは、何のために大学に入ってまで美術を学んでいるのかわかりません。伝えたいことは何なのか、最終的にはどのような形になるのか、他の人の作品や意見からも学びたいです。また、展示の際は細部まで「見せ方」にこだわりを持ちたいです。より空間全体を意識し、作品がその場でどのような効果を発するのか、見た人にどのような影響を与えるのか、もっとコンセプトが伝わる展示をつくりたい。3年生では、いよいよ1つの専攻に入り、やりたいことに専念できる環境が与えられます。自主製作を通して学んだことは、専攻にわかれてからも私の武器になると思います。これからも友人たちからたくさん刺激を受けて、切磋琢磨していきたいです。

 

林実沙(大学祭ファッションショー分野長)

一年間で一番印象的だった出来事は何ですか?
私は大学祭で、ファッションショーを企画運営する責任者でした。最終的には総勢37人で作り上げた、バラエティとボリュームのあるショーになりました。
秋田はお米や雪、秋田美人の肌など白いものが多いので、ショーのテーマは「白」になりました。自分の作品制作に加えて、全員のコンセプトなどをまとめ順番を決めたり、学内の装飾分野や、音響や照明の業者さんと話し合うなど、ショーのほとんどすべてに携わりました。また、ショーの前には自分が所属する「フリペサークル」で特集号を発行しました。会場が明るくスクリーンに投影できなかった代わりに、冊子にコンセプトをまとめたものです。これらも好評で、ミスもいくつかありましたが、成功したと言えるかと思います。

自分の中で、変化はありましたか?
2014年度は、初めて美大生主導で行う学祭でした。校舎のニケ像前の大階段に場所を変更したり、海外のコレクションを参考に少し格好つけたりして、我が侭でいろいろ演出させてもらいました。その分仕事は増えましたが、達成感もあり、企画運営して良かったです。ショー全体の仕事に追われ、冊子の内容や、自分がモデルさんに着せる衣装の詰めが甘かったことが反省点です。変化といえば、私は足が遅いのですが、期間中あちこち走り回っていたので、少し足が速くなったのではないかという事でしょうか…?

今後挑戦してみたことを教えてください。
多くの方々の協力で実現できたファッションショーでした。思いがけない意見で、全く違った結果になったりして、みんなで作り上げるというところが楽しく、やりがいがありました。私はファッションに興味があるので、機会があれば、また企画運営したいです。また、ファッションショー分野は、他分野と比べ予算を多くもらいました。これは、スポンサーを集めてくれた担当の人達や、困窮した私に見かねて予算を増やしてくれた会計担当の人達のおかげです。こういった人達のおかげでショーが成り立っていたという事を忘れないでおきたいです。

 

匿名希望(少年漫画賞受賞)

一年間で一番印象的だった出来事は何ですか?
やはり描いた漫画が、人気少年誌で賞を戴いたことです。私は大学入学をきっかけに漫画を描き始めました。年齢的に遅いスタートと感じ、焦っていたのを覚えています。約3ヶ月かけて1作目を完成させ、ある少年誌に投稿したところ、編集の方に原稿を見てもらえるようになりました。担当がついたことで調子に乗った私は、早く賞を取ろうと躍起になり短期間に何本も作品を描いて送りました。しかし、どれも1作目を上回る評価は得られませんでした。そのまま1年くらい経ってしまいましたが、冷静さを取り戻し、初心に帰りじっくり作品を描くことにしました。1年無駄にしてしまったという後悔もありましたが、この1年で毎日漫画を描くという習慣が身に付きました。そしてその作品で目標としていた賞を戴いたのです。
 美術大学という自由な環境のおかげで、学校生活と漫画制作の時間を自分の好きなように配分することができます。入学した当時は、漫画家になるために美大へという気持ちを少なからず持っていましたが、次第にどちらも別物であると考えるようになりました。そのため、学校では授業に集中し、家で漫画制作するように、極力片方の事情をもう片方に持ち込まないようにしています。

自分の中で、変化はありましたか?
賞を取った当初は嬉しかったものの、一方でプロとの途方もない力量差を感じ、ますます焦りを感じるようになりました。変化したことは自分の画力に対する見方です。これまでも問題は画力にあるという指摘を受けてきましたが、「自分は美大生」というプライドで無視してきました。しかし、受賞作の講評を見ると画力が足を引っ張っているのは明らかで、いよいよ「絵がヘタクソ」という最大の問題を直視せざるを得なくなったのです。

今後挑戦してみたことを教えてください。
目標としていた賞を受賞することはできたものの、スタートラインは遠く、画力に関しても引きずってきた問題なので、満足のいくものを描けるようになるには時間がかかりそうです。これまでの経験から学び、時に美大を利用し、焦る気持ちを押えて地道に努力します。

 

山本はるひ(「あるいて、つないで、みちになる」「私の病める舞姫」参加)

一年間で一番印象的だった出来事は何ですか?
「あるいて、つないで、みちになる」
秋田公立美術大学、東北芸術工科大学、京都造形芸術大学、東京藝術大学、立命館大学の大学生8名で、環境省が選定した700㎞の東北沿岸にあるトレイルコース「みちのく潮風トレイル」を24日間かけて歩きました。福島県を出発する北上チームと、青森県を出発する南下チームに分かれ、距離はそれぞれ350㎞。私は北上チームになりました。被災地を歩きながら、その土地に住む方に毎日お話を聞き文章にお越し、毎日記事を書きました。「私の『病める舞姫』」舞踊家の土方巽の「病める舞姫」を基にした舞台です。「あるいて、つないで、みちになる」が終わった後、体を自由に動かせるようになりたい、と思いました。身体性のある経験と知識を積みたくて、見つけた出演者の募集に応募しました。『病める舞姫』は土方巽自身の記憶や体験を基にして書かれた自伝的舞踏譜です。その構造を取出し、出演者それぞれの記憶や体験を基にした文章を書き、読み上げ、パフォーマンスを行いました。形の無い「ふるさと」のこと。誰かのふるさとの秋田のこと。その秋田の亡霊のこと。祈るという事。様々な要素の中で冷静に「立つ」ことを理解した舞台でした。

自分の中で、変化はありましたか?
演習や講義で出来る勉強や経験は、4年間で学ぶことの一部にすぎないと気がつきました。大学が全てではない。また「美術」という枠の中だけで活動し、考えても何も広がらない。やりたいことは自分で探し、掴んでやればいい。勉強したいことは自分で勉強ができます。行動をおこせば、予想以上に周知から反応があり、自然に人との縁に繋がることを知った1年でした。

今後挑戦してみたことを教えてください。
最近「仕事」と「アート」への考え方が変わり、どんな職に就くかより、どんな環境が自分に大切なのか考えています。どんな土地や人、モノとの間に、どんな自分を発生させたいのか。その「どんな」の部分が私はまだはっきりしていません。ですから、月並みですが今は様々な経験を積んで、まずは知る悦びを追求したいです。どんな経験でも、どこかできっと自分のためになります。今は自分のやりたいことをして、たくさん恥をかき、「どんな」の部分をきっと掴みます。

 

加藤いずみ(Wカップポスター制作)

一年間で一番印象的だった出来事は何ですか?
昨年、最も印象的だった事は、たざわ湖スキー場で行われた、モーグルW杯のポスターやロゴ等の制作に関わったことです。はじめてのデザインの仕事で、先生達と一緒に取り組みました。
夏休みの終わり頃、先生から「イラスト描いてみないか?」と声をかけられてことがはじまりです。面白そうだったので軽い気持ちで承諾したのですが、結果私のイラストがW杯たざわ湖大会で採用され世界に発信されたのです!私が描くイラストやレイアウト案を先生がディレクションし制作しました。普通モーグルW杯のロゴやポスターでは、スピード感や躍動感、スタイリッシュなイメージを想像するかもしれません。しかし私たちは、かわいくファンシーなポスターを提案したのです。このイメージを通じて、これまで競技に興味がなかった人達にも注目してもらい、客層を開拓し温泉や自然が豊富な田沢湖地域に足を運んでもらおうと考えたのです。

自分の中で、変化はありましたか?
イラスト制作だけでスケッチブック一冊以上のラフ画を描きました。はじめは、モーグル選手を参考にジャンプの形を追っていたので複雑なイラストでしたが、枚数を重ねるにつれて、体のラインは単純になり、線が強くなっていきました。ポニーテールやスカートの裾を風になびかせることで、浮遊感を表現しました。好きなようにイラストを描いていく中で、時々先生が、「スカートは丸くしよう」とか、「横向きいいね」などアドバイスをくれたので、心地よく完成形に持っていくことができました。他にも、一番薦めたいポスターをよく見せ引き立てるために、プレゼン用に別案のポスターを制作したり、秋田県のアドバイザーをつとめている有名デザイナーの梅原真さんにアドバイスをもらったりと、一つのプロジェクトを成し遂げるためにたくさんの人がかかわっていることを知りました。デザインの現場を体験し勉強になりました。
そして何より、制作したポスターが駅や街中に貼られてたり、それを見た人が写真を撮ってくれたり秋田県やスキー連盟の方が私のイラストを気に入ってくれてさまざまなグッズに展開されたことが嬉しかったです。
この経験をきっかけに広告をつくる楽しさを感じ、これからもっと本格的に追求したいです。

 

西永怜央菜(アートプロジェクト会場スタッフ)

一年間で一番印象的だった出来事は何ですか?
入学する前は自分が「アート」という言葉をこんなに使うようになるなんて考えてもいませんでした。むしろアートに対して良い印象を抱いていませんでした。出身地の沖縄では現代アートに接する期間は少なく、私が抱いていたイメージは無機質なホワイトキューブの中にツンとすました作品が置かれている、という貧弱なものでした。しかし今、私にとって感じる、「現実のもの」となりました。
2014年の秋、ポルトBのプロジェクト「占-宿命の交わるところ」を会場スタッフとしてお手伝いしました。彼らが「国民投票プロジェクト」や「東京ヘテロトピア」などで取り組むテーマは私にとって興味深かったので、声をかけて頂いたときは嬉しかったです。しかし秋田のような「地方」で現代アートをするのは難しく、企画と観客の間にある距離は近くありません。プロジェクトの中で自分にできることはないか、と会場案内をしながら考えライブのレビューを書いた経験を活かし、プロジェクトの解説と考察を書きました。自分勝手な行動ですが、このプロジェクトについて興味を持ったり、理解してもらうきっかけになりたいと精一杯でした。私はアートが好きになっていたのです。このことを思い出して驚くのは、アートがいかに多くの人によって動かされているかということです。

自分の中で、変化はありましたか?
アートプロジェクトの手伝いをしつつバイトや旅行など別の世界も見るようにしています。様々な場所に行き人の話を聞いたりすると、アートは決して世界の中心ではないことに気がつきます。小さい頃から絵が好きで高校は美術コースに画塾という世界に生きてきた私にそれは衝撃でした。しかしアートが社会の一部であることは確かです。アートは自由に、美しく社会と関わることだと今は考えます。もしそれが実現したらとても幸福なことです。私はアートの存在を信じたい。しかし先に挙げたポルトBも秋田のアートシーンも「地域アート」の流行に乗っていますが、企画と観客の距離はまだまだ遠いです。秋田にいる間はアートがわからなかった時の気持ちと今自分が考えていることを忘れず、その架け橋になりたいです。

今後挑戦してみたことを教えてください。
これからもこの大学の特性を生かして分野に囚われず様々な場所や物事を見て、感じたいです。受け止めきれない時は表現することによって乗り越え、自分の可能性を広げたいです。